100年生きるということ

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2月最後の日曜日、祖父が旅立ちました。100歳の大往生でした。ロンドン駐在中の一時帰国の際、お会いしたのが3年前。その時はしっかりしていて、もちろん全くボケてもおらず、元気そのもの。ところが、2年前に転倒して骨折したのを機に施設へ入居したのですが、慣れない集団生活に戸惑いながらも、穏やかで頭がいい祖父はすぐに皆の人気者になり、いつも輪の中心にいたようです。

両親共に教師であり、1916年に生を受けた祖父は父の赴任先に伴って岩手県内を転々としていたようです。ところが、長男であった曽祖父の兄が亡くなった為、次男の曽祖父が本家を継ぐために家族と共に呼び戻されました。本家は大地主であり、当時は銀行、農協の役割もしていたようです。第二次世界大戦後の農地改革では多くの田畑が小作人に分配されたので、農業も自らが行わなくてはならなくなり、祖父の妹たちはいわゆる女中さん付きのお嬢様たちだったのが一転して庶民の身分になりました。

私は祖父の家に行くたびに昔の写真を眺めるのが大好きでした。白黒でもお着物の華やかさがわかったし、お正月などに家族一同でそろった集合写真などはまるでクラス写真のよう。大家族で住み、親戚も大勢いて、いとこやはとこが入交り、子供たちも楽しそうに写真に写っていました。私のかすかな記憶に、黒光りする板や太い大黒柱、牛を飼っていて、いわゆる南部曲がり家のように、人牛同居していたようです。もちろん肥溜めもあり、トイレがそれはそれは恐ろしく、落ちたらどうしようとドキドキしたし、お風呂は外だったのを覚えています。それも30年ほど前に自宅が火事で全焼してしまったので全て焼けてしまいましたが、ハッキリとその光景が思い浮かびます。

祖父は自分の歯がかなり残っていたので、亡くなる1か月前まで自力で食べて、自分の歯で噛んでいました。8020運動といって80歳で自分の歯が20本残っているお手本となって、コマーシャルにも出たようです。大きな病気をしたことが一度もなく、唯一白内障か緑内障の手術をしたくらいです。好き嫌いなく何でも食べ、健康そのもので、火葬の後は顎の骨がしっかり残っていて皆一同驚いたそうです。生まれた時から毒や添加物、農薬や公害の環境にさらされた私たちの世代では長生きするのは不可能な気がします。内臓がきれいなままなんてありえないし、それこそ安全でない食べ物とストレスによって病気になっています。

徴兵検査で落ちてしまった祖父は、戦争に行っていませんが、地域の男性はかなり召集されて帰らぬ人となったので、何かしら罪悪感のようなものを抱えていたことは想像できます。生きるって大変です。しかも高齢になれば、がたが来た状態で生き続けなくてはならないので、生き抜く気力がないと生きていけないと思います。しかも95を過ぎたころから周囲の100歳まではという有形無形のリクエストを受け取っていたと思うし、なかなか大変だったことでしょう。祖父はきっと長年亡くなった方の分も生き抜くという使命をもっていたに違いありません。100歳を迎えて半年、やっと自分の為に旅立つ支度ができたのかなと思います。お葬式は雪でした。遺影の写真の背景は満開の桜。北国の冬は長いけど、いずれ待ち遠しい春がやってきて桜が咲く、そんなことを象徴しているように見えます。今は安心して祖母の元に行ってることでしょう。

今日も笑顔あふれる楽しい一日をお過ごしください。

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